遅延もちろん大好き

はじめまして。ゆゆ。と申します。
結婚後、2度の流産を繰り返し、婦人科的抗リン脂質症候群が分かり、不育治療の末、可愛い我が子を3人も出産出来ました。
昨年生まれた3人目の次女が、生まれてから口唇口蓋裂が分かり、また次々と無呼吸症候群・てんかん・喘息・発達遅延・・・などなど、分かりました。

戸惑う事も多く、色々な葛藤もありますが、この子が生まれてくれて本当に幸せでとても可愛い我が子です!
このブログでは次女・ナナの事を中心にありのままの心を書いて記録していきたいと思います。
今ナナは生後8ヶ月です。過去から遡って書いていきたいと思います。よろしくお願いします!

鳴かぬなら鳴かせてみせよう遅延

公式ハッシュタグランキング: 位 -その2(№4211.)から続く- 前回がキハ40を取り上げましたので、今回はキハ47・48を取り上げます。前回のキハ40が両運転台だったのに対し、キハ47・48は片運転台となっています。 キハ47-0昭和52(1977)年から57(1982)年にかけて、193両が製造されたキハ40系の基幹形式。車端部に便所を備えていますが、キハ40とは異なり通常の出入口となっています。キハ47が2扉であることはキハ40と同じですが、異なるのはキハ40が片開き扉なのに対し、こちらは1300mm幅の両開き扉であること。これは先輩格のキハ45系に範を取った結果であり、大都市近郊の利用者の多い路線で使用することが想定された構造です。ただ、実際には後述するように暖地向けキハ48が作られなかったことも理由なのか、西日本のローカル線でも広く用いられていたように思います(管理人は、今はなき志布志線でキハ47使用列車に乗車したことがある。志布志線は特定地方交通線として廃止対象になっていた)。内装もキハ45系に範を取り、扉間にボックス席5組と車端部(便所の向かい側)に1組あるほかは全てロングシートとされました。これもやはりラッシュ対策なのか、キハ45系に比べ座席定員は減少しています。なお、キハ47は各番代ともユニット窓を装備していますが、このユニット窓はキハ40とは異なり、上段・下段とも上昇するものです(103系や113系などと同じ構造)。 キハ47-500昭和53年から57年にかけて、22両が製造されました。これはキハ47-0に耐寒耐雪装備をプラスした寒地向け仕様。見た目も内装も、キハ47-0と全く変わりありません。このような車両が用意されたのは、新潟地区への投入を目論んだため。当時の新潟地区では、越後線などの利用が多く、しかも当時の越後線が非電化だったため、乗降性に優れた気動車の投入が望まれていました。そこで、国鉄当局はキハ47-0に耐寒耐雪装備をプラスして、キハ47-500として投入したわけです。新潟地区には過去にも、通勤輸送用としてキハ30系の寒地向け仕様車(500番代)が投入されたことがあります。 キハ47-1000昭和53(1978)年から57年にかけて134両が製造された、キハ47-0の便所無しのバージョンです。当時は合理化と黄害対策のため、優等列車以外の便所は削減される傾向にあったことから、前項のキハ47-0の連結相手として、便所のないバージョンが製造されたということです。キハ47-0との違いは、外観では連結面屋根上の水タンクがないこと、内装では車端部にボックス席左右1組ずつになっていることくらいしかありません。 キハ47-1500これはキハ47-1000の寒地向け仕様のバージョンで、便所のない理由もキハ47-1000と同じです。こちらもキハ47-500と同時期となる昭和53年から57年にかけて、21両が製造されました。 キハ48-0昭和56(1981)年から57年にかけて、僅か6両のみが製造された、準寒地向け仕様車。内外装とも、キハ40-500を片運転台化した形態となっており、デッキ付き片開き2扉、扉間のボックス席は7組、便所はデッキから出入りする形態です。後述するキハ48-500・-1500は完全な寒地向けですが、その耐寒耐雪装備を一部簡略化したものになっています。これらは高山本線・小浜線向けに製造された車両なので、地域を考えれば確かに重装備は必要ないように思えます。なお、キハ48には、キハ40-2000やキハ47-0・-1000のような「暖地向け」は存在しません。その理由ですが、恐らく両開き2扉・デッキ無しのキハ47で賄える、そうすれば無駄に車種を増やさなくて済む…と当局が考えたでのではないか。そのことは、容易に想像できます。 キハ48-300キハ40系増備の最末期、昭和57年に僅か3両のみが製造された車両。車内はキハ48-0と概ね同一ですが、酷寒地仕様として窓が二重窓になっていることが外観上の差異となっています。なお、当初はこの車両が「キハ48-0」になる計画もあったそうです。なぜそうならなかったのかについては、よく分かっていません。理由は外部から想像するしかありませんが、恐らく現場が両運転台車を望んだことで、両運転台のキハ40の両数が多くなり、その結果としてキハ48の両数が少なくなったものと思われます。 キハ48-500キハ48一族の中では最も早く、かつ最も多数が製造されたのがこのキハ48-500。昭和54(1979)年から57(1982)年にかけて、59両が製造されています。内外装ともキハ48-0と同じですが、耐寒耐雪仕様となっています。 キハ48-1000キハ48-0の便所がないバージョンがキハ48-1000ですが、このような車両が作られた理由は、キハ47-1000と同じです。こちらもやはり、キハ48-0と同時期の昭和56~57年の間に、高山本線・小浜線向けとして、僅か4両のみが製造されただけとなっています。 キハ48-1300こちらも昭和57年に、キハ48-300の連結相手として4両のみが製造された、キハ48-300の便所無しのバージョンです。 キハ48-1500キハ48-500の便所を省略したバージョンがキハ48-1500で、こちらもキハ48-500と同じ昭和54年から57年にかけて、50両が製造されました。 これら片運転台車は、2両以上の連結を必須とするため、キハ40のようなパワー不足の懸念はなかったと思われます。特にキハ47は、山陰本線京都口や新潟地区でまとまった編成を組み、両開き2扉の威力で乗降性が飛躍的に改善され、遅延も減少したといわれています。しかし、都市近郊の列車として、冷房がないことは流石に…と思いますが。 次回は、キハ40系に類似した車体を持ち、郵便・荷物輸送に従事した「キハ40系の仲間」を取り上げます。 -その4に続く-